空気を読む。そして忖度する。
今日は久しぶりに紹介記事無し。
と、言うのも専ら多くの記事が出回り、なんだか状況が混沌としているから。
働き方改革関連法案で安部総理が答弁撤回した問題に関連して少し思うところを。
日本には (と言ってもそれほど国外の文化に熟知しているわけではないけど) 所謂、「空気を読む」「行間を読む」という文化がある。
相手の気持ちを推し量る。つまり本来の意味での「忖度」だ。
顧客や上司、先輩から後輩、部下、あるいは恋人、夫、妻、想い人に至るまで、こと人間関係のあらゆるステークホルダーに対して取られる日本的感覚のコミュニケーション手法だろう。
この源流は日本の教育制度まで考えを及ばせるとなるほどスンナリと腹に落ちる。
小学校からの必須科目である国語が原点だ。
筆者にも思い当たる節があるが、よくよく思い出してみると、あの何十年とお付き合いする国語科目では成績を測るのに当然テストがある。
その内容はと言うと、配点割合で重点を占めているのが文章読解力問題の「この時の作者の気持ちを述べなさい」的な問題だ。
生来のひねくれものである筆者は子供心に「そんなん書いた本人しかわからんへんや」と幾度も思いながらあの長く退屈なテスト時間を過ごした記憶がある。
翻ってここ最近、森友問題に端を発してこの忖度による責任の所在、特に政治的な責任の所在がフワっとしていることが多いと思う。
これは官だけではなく民間企業でも多かれ少なかれ同じことが横行しているのではなかろうか。
良くも悪くも日本人はあやふやファジーを極端に好む習性がある。
このあやふやファジーがリベラル、保守間の言葉遊びで終わってるうちはいいが、第二次世界大戦の時のように有事の際に重大な転換点にならないように切に願うばかりである。
そう願いつつ、自分自身も毎度の記事で結論を出さないあやふやファジーに甘え続けているのである。。。