結果は群衆のものではなく本人のもの
非難より称賛を。下を向くより上を向こう。
今回の記事。
たかが五輪。されど五輪。
アスリートの中には様々な思いを以てこの大会臨む者が多い。
あるいは国の威信のため。
あるいは競技人口増加のため。
あるいは個人的な名誉のため。
あるいは大切ななにかのため。
モチベーションはそれぞれであって、そこに他人が口を挟む道理は無いが、果たして失格となったチェ選手の胸中はいかばかりか。
それが競技である以上、審判は必要であり、審判の判断は常に「恐らくは」正しい。
であるならば、氷上に立つアスリートは全て同条件なのである。
しかしながら、審判も人間である以上、誤りはある。必ずある。
それはこれまで数多く発生している誤審が雄弁に物語っている。
今回の件が誤審なのかそうでないのか素人には計りかねるが、少なくとも非難されるべきは選手では無いはずだ。
自国開催、かつ、最大の関心競技であったことは周知の通りだが、異を唱える相手を間違えた瞬間からその主張は非難となり、批判となり、ただの便所の落書きに落ち果てる。
嫉妬の感情に頭を押さえつけられ、下を向くよりも、志高く次を見据えて上を向いてはどうだろうか。
平昌五輪:韓国失格でネット憤怒、カナダ選手のSNS炎上-Chosun online 朝鮮日報