無限に顔が現れる精神的未成熟な駄々っ子ちゃん

右翼、左翼と昭和以前からのよく分からないカテゴライズがそもそも不満である筆者であって基本的にはラブ&ピースがモットーなのだが、どうにもお隣の国の主張がよく分からない。

 

悪いことをしたら謝る。

これは人間関係の基本のキではあるものの、彼らの主張には常に国内の政治的背景や経済的背景が透けて見えるのだ。

 

ごめんなさいの落としどころと言うのは乳幼児から国家間に至るまで、唯一、理性というものを授かった人類における普遍の未来思考であると言えるだろう。

例えば、過失、意図的に関わらずなんらかの損害を与えたとしよう。

その場合、過ちは過ちと認めて損害を与えてしまった相手に対して (特に原状復帰不可能なものであれば) どの様に償えばいいのかお伺いを立てる。

それが現実的、非現実的に関わらず、まずは相手の主張を聞くことから始まる。

そしてそれが非現実的 (例えば、亡くなった人間を生き返らせろとか、時間を遡って無かったことにしろなど) であれば、お互いの妥協点を話し合い、現実的な解決法を見出だしたら、そこに対して誠心誠意の償いを行う。

この問題は、その時々の国の代表同士が現実的な解決法を見出だし、完全納得はしないまでも落としどころに落ち着いたはずだ。

なのに、国の代表が代わるごとに毎度同じ状況に陥る。

つまり、この輪廻は今回のお隣さんの代表と解決法を見出だしたとしても、次の代表に代わればまた解決法を見出ださなければならなくなる。次の代表が代わって次の次の代表となったらまたそこでリセットされる。

永遠に終わらない輪廻と化している。

 

そして、その理由の大半は政治家の支持率というこれまたよく分からないものなのだ。

筆者の語彙力の無さに呆れていただきたいが、これでは「精神的未成熟なただの駄々っ子」ではないか。

 

隣人は選べないと言うが、あまりにも目に余る困り果てた隣人である。

 


慰安婦問題「『終わった』と言うな」=文大統領、竹島でも対日批判-日韓合意を否定:時事ドットコム