突き詰めると経営者は「社員のためではなく会社のため」に生きている

経営者の中には「会社のため = 社員のため」という考え方をする方が非常に多い。

特に日本の企業ほどこの考え方を経営者の都合の良い解釈にはき違えている傾向は顕著であろうと思う。

 

筆者はこれまで5つの企業を渡り歩いてきて、中には個人商店のようなスタートアップベンチャーもあった。

従業員数で言えば数千人規模から、数百人、果ては十人に満たない企業までを渡り歩き感じたのは企業の規模によって経営者が持つ思いは似通っているということだ。

例えば、新卒で運良く入社した会社は全国に500の拠点を持ち、従業員は数千人という企業だった。もちろん、新卒の我々が経営陣と頻繁に話せるような環境は与えられなかったが、毎月の経営陣からの訓話では常に「売上」「利益」「コスト削減」「イノベーション」といったキーワードが多く聞こえてきた。

 

一方で従業員が十人にも満たないスタートアップ企業でも経営者は「人件費」「コスト削減」としか言わなかったものだ。(当時の経営者は酒に呑まれるとよく「なんかいいアイデアないか」などとこちらを不安にさせるような愚痴を言っていたが・・・)

いずれの企業でも経営者の根底にあるのは「会社が成長すれば社員も嬉しいだろう」という思いだ。

それについては是非もなくその通りなのだが、困ってしまうのは「会社の成長 = 社長の取り分だけ増加」というエゴ丸出しの経営者がいるということだ。これは最早、自慰的、かつ独り善がりな思いでしかない。

 

一方で社員側にもどうしようもなく困った者もいる。ハッキリと言うと今日の日本企業で働く会社員は短絡的な「会社の成長より自分の取り分の増加」というロジックの元に働いている者がとても多いのだ。

もちろん、このロジックはどうしようもなく稚拙で精神的未成熟な大人の言い分だ。

給与は利益の分配であるので、高給与のためには会社の利益を上げる必要がある。

そのためには売上や利益、コスト意識も必要だし、イノベーションや新しいアイデアも必要だろう。

それらに思いが至らず (中には敢えてそういう仕組みを見えないフリをして) ただただ「もっと給与が欲しい」と囀ずるのが社員なのである。

そういった経営者と社員が限りある利益を奪い合うことだけに執着しているのが今の日本の現状なのだ。

 

裁量労働制を導入するのは大いに結構だが、そもそもの労働というものの根幹を見直すことが先だろうと常々思っている。

 

経緯はどうあれ、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りする。

 


裁量労働制を違法適用、社員が過労死 野村不動産:朝日新聞デジタル