ダークサイドに落ちたやつはめんどくさい

メンバーシップは100点。

リーダーシップも100点。

フォロワーシップがマイナス250点。

これは筆者が自分の属する会社の先輩社員、後輩達、ひいては一部の経営陣に至るまでの同僚に常々感じている印象だ。

 

今回の記事にもあるが、DeNAから巨人にFAした村田選手と同様に筆者も前職からFA (決して戦力外通告ではない) で今の所属に移った類いの人間だ。

筆者も (知名度とオーナーの懐具合という点では彼と同じく) 中小企業からある程度の企業に移っている。

記事ではとても分かりやすく解説しているので、村田選手が置かれた状況については割愛するが、コミュニティーの中で「干される」というのは今まで様々な局面で目の当たりにしてきたし、様々な企業の様々な人間関係の中で思い知ってきた。

特に冒頭で挙げたようなパーソナリティの社員は干される理由に自身なりに心当たりはあるが、「郷に入れば郷に従え」という言葉に対して極端な (時には周囲がドン引きするくらいの) 拒絶反応を示すのだ。

さらにもうひとつ。この手の人間に共通している点として、正論を大上段に構えて正論の暴力を振るうことになんら違和感も抵抗もないパーソナリティであることが非常に多い。

それがあたかも「改善」であるかのように盲信し、周囲を辟易させるのだ。

改善と自己満足の境界線を引けないような人間が、浅はかな正論を振りかざし、自慰的な自己陶酔に耽っている様はなんともおぞましい光景だ。

 

今回の記事を全て鵜呑みにする気は全く無いが、村田選手はそんなおぞましい存在に陥ってしまってはいないか。

生え抜き、外様という文化自体が一時期よりも随分薄れては来た日本だが、それでもアスリートの世界は日本企業に負けず劣らず奇々怪々な世界である。

村田選手が優秀であれば優秀であるだけ絡み付いてくるモノは重たく、また醜悪だろう。

だからといってダークサイドに陥ってしまわないように、考え方や見方を変える時期に来ているのだとすると思いきった自己改革を。

 

 

 


実力はあるのにどこからも声がかからない…「わが社の村田修一くん」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)